イスカリオテのマリアについて


“イスカリオテのマリア”とは本作でネルフの2番艦にてのマリと冬月の会話で出てきた言葉です。これについて考察していきたいと思います。

まずシンプルに「イスカリオテ家のマリアさん」という捉え方。もしマリが偽名で、それが本名なのだとすればそうなるかと考えます。

そして次、イスカリオテのマリアという単語を分解します。そうすると「イスカリオテ」と「マリア」という二つの単語になります。

今回はそれについて細かく見ていこうと思います。

まず、イスカリオテについて。

これは聖書に出てくるキリストの弟子の一人だった「イスカリオテのユダ」が元ネタになっているかと考えました。

イスカリオテのユダとは簡潔にいうと“金に目がくらみ最終的にキリストを裏切った人物”です。これが元なら

イスカリオテ=ユダ=裏切り者

ということになるのではないでしょうか。ゼーレやネルフを裏切りヴィレについたという意味で今作ではイスカリオテと呼ばれたのかもしれません。また、彼女と冬月副司令は大学の頃からの知り合いなので、当時何かあったのかもしれませんね。

次にマリアについて。僕は、「マグダラのマリア」を思い浮かべました。

マグダラのマリアとはキリストの母親です。聖母マリアと呼ばれることもあります。

また、最近調べて知ったのですが、マグダラのマリアってキリストと恋人のような関係だったという説もあるみたいですね。ちょっとラストシーンの見方も変わるのかもしれません。

マリがシンジに抱いている感情は母親のような母性感情なのではないでしょうか。実年齢はシンジとマリは親子レベルで離れていますし、マリはユイのシンジ出産シーンにまで立ち会っているように見えます。それに恋愛感情というのはちょっと変ではないでしょうか。すなわち、マリア(母親)としての愛情。そして、シンジは他人を“恋愛感情という意味ではなく”好きになれるようになった、人と素直に関われるようになった。という捉え方もあるのかもしれませんね。あくまで可能性の一つですが。

するらふんの頭の中

するらふん と申します。 ここではエヴァの考察をメインにさまざまなものを投稿しています。よければ読んでいってください。

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