旧劇→新劇場版はありえるのか ⚠️

読む前に

まず、この考察は読まれる一部の方に不快感を与える可能性があります。読んで欲しいのは山々ですが、それぞれにお任せしたいと考えています。

とあるところで募集させていただいた説に対して出た答えをまとめる形で掲載させていただきます。

これに関しては様々な意見があり得ると思えるので今一度書かせていただきます。

考察はあくまで一つの説です。どのような経緯で考察してもあくまでも一個人の考え方です。

「これってこの方の考察への批判ですか?」のようなつもりで書いたものではないです。

その捉え方にならないようによろしくお願いします。



さて、こんなぶっ飛んだタイトルですが真面目に考えていきたいと思います。

先に結論から言います。

僕の考えはNOです

ちゃんと矛盾点を説明していきます。


①世界が物理的な意味でも一続きの世界の場合

まず、これはありえないです。どこがあり得ないのか。今作でセカンドインパクトが海の浄化であるということが明かされました。すなわちセカンドインパクト前では世界は青い海出会ったことになります。旧劇場版の最後では海が赤く染まっていましたが、先述のセカンドインパクトの話を踏まえるとまずあり得ないということになります。これが一番大きな理由になるかと思われます。

もし仮に旧劇場版と新劇場版が一続きである場合、上記の点で矛盾をしています。

②旧劇場版の次のループが新劇場版である場合

これは完全にあり得ないです。ループの範囲として新劇場版のみという説明がつきます。以前これにつしての考察を書いているので読んでいただけると幸いです。

ここで述べたことを踏まえてもやはり旧劇場版がループに含まれていることは考えにくく、全くの別物として考えられます。

③旧劇場版→新劇場版(新劇場版のみでのループ)の場合

この場合、神がユイこと初号機として語られています。だからこそ「神殺し」なのである。と。

しかし、シンエヴァで語られた神としての碇ユイは「新劇場版の」初号機の中にいるユイでした。

そしてそこで重要になってくるのはエヴァイマジナリー(以下、イマジナリー)。もし仮に、③の場合、そのポジションにつけるのはイマジナリーしかいません。すなわちイマジナリー=旧劇初号機ということになります。しかしここで思い出して欲しいのがイマジナリーに対するゲンドウの説明です。「この世には存在しない架空のエヴァだ」(うろ覚え)と言われていました。

一応念のためにイマジナリーという言葉の説明をしておきます。

想像(上)の、架空の、虚数の  出典)weblio辞書

だからシンジとゲンドウで見えてる姿が違いましたね。ゲンドウからはどんな姿で見えていたのかきになりますね。

イマジナリーはこの世に存在しない架空のエヴァを槍の力を使ってこちら側の世界に出現させていました。虚構と現実が混じると言われていましたね。

これらのことから言えるのはイマジナリーをユイとするには無理があると考えています。

イマジナリーをこの世に登場させてアディショナルインパクトを起こしたのはゲンドウが再びユイに会うためでした。「ユイと再び会う」という虚構を叶えるためにアディショナルインパクト(イマジナリー)を使って虚構と現実を交じらせるためでした。しかし、シンジの中にいるユイを見つけることができたので結局途中でアディショナルインパクトは止まりました。

すなわちゲンドウが求めていたのはあくまでも「新劇場版」でのユイであり、イマジナリーことユイというのは説得力にかけるのではないのかと考えています。

もし仮に、ユイこと初号機が神となり円環の物語を眺めているという展開があったとしても少なくともイマジナリーがユイになることはないということになります。

また、新劇場版においての神がユイという確証がないです。ゴルゴダオブジェクトでの発言はゼーレ側の発言から見てもユイとは違うと考えられます。


まとめます。

①はセカンドインパクト含め違うと考えられる。

②はループの範囲という捉え方でも違うと考えられる。

③ユイが神となる(旧劇場版のサードインパクトの結果)場合であったとしてもイマジナリーがユイという考え方ができない。

ユイが神であったとしてもそれを裏付ける根拠が少ないと考えられる。



するらふんの頭の中

するらふん と申します。 ここではエヴァの考察をメインにさまざまなものを投稿しています。よければ読んでいってください。

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